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平和について

50年以上も前のことになるが、平和について父が語ってくれたことを思い出すときがある。父いわく、平和とは「全ての人々が平たく、禾(のぎ)を口にできることである」と教えてくれた。また、禾(のぎ)とは稲、麦、小麦、稗、粟などの穀物のことを意味するとも教えてくれた。

そのようなことを思うとき、ある日の母の姿も思い出すことがある。
母は、午前中の農作業のあとに昼ご飯をいただき、その後昼寝をするのであるが、その時には必ず「あー、極楽、極楽」とつぶやきながら風通しの良い畳の間に横になりひと眠りしていた。
そして目が覚めると夕方までの段取りを確認するようにつぶやき、再び野良仕事に出かけていく。
昼飯と言っても、麦のご飯に味噌汁、たくわんやラッキョウ、イワシの一夜干しを焼いたものや、大根の煮つけ程度の実に質素な昼ご飯であった。

一方、私が祖母から聞いた極楽とは、「桃の花が咲き誇っていて、この世では味わうことの出来ない超楽しいところで、毎日美味しいごちそうを食べることができるところだ」と教わった記憶があり、母がつぶやく極楽とは雲泥の差があった。

しかし、いま改めて思うと、「ご飯が食べられて昼寝ができること」が極楽だということが理解できるような気がする。
そのようなことを念頭に置きながら私たちの国日本を見てみると、この国は今本当に平和なのだろうかと思うことがある。
うがった見方かもしれないが、戦争がないだけまだましだと思えばそうかもしれない。しかし、本当にそうだろかと思うことがある。

ウクライナに平和が訪れ、「全ての人々が平たく、禾(のぎ)を口にできる」日が一日も早く来ることを心から願いたい。

中学生まで西の海に沈む夕日を見ながら甑島で育ちました。ただ見ているだけで涙があふれてくることもありました。なぜだかわかりません。
そしてその日にとれた貝がその日の食卓に並ぶこともしばしばありました。
ごく普通の何気ない日でしたが、今考えてみると何とも幸せな日々であったような気もしています。
ウクライナの人たちには、このごく普通の何気ない生活が保障さていない日々が続いいています。
何もできないない自分に腹立たしさを感じるときもあります。
ウクライナの人々がごく普通の何気ない生活に戻れる日は早く来ることを心から念じています。

2022年3月27日
中能孝則

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