森のようちえんから国際交流まで、幅広い社会教育交流活動をご紹介します。

子どもと一緒に焚き火を楽しむ

(子ども時代にこそ体験してほしい焚き火の楽しさと火の怖さ)

この文章は2021年度の子ども白書に寄稿したものです)
今の子どもたちに期待されていることは、超優秀な電気製品のような高性能な大人になってほしいという思いが込められて育てられているような気がします。
例えば、電気釜に例えて話すならば、決められた分量の米と水を入れて炊けば、誰が焚いても間違いなく指定された時間に実に美味しいご飯が炊きあがっています。電気釜そのものの発明は実に素晴らしいもので、私たちの生活を便利にしてくれています。そしてその種類も様々でそれぞれに個性があるように見えてはいますが、たいした違いはないようにも感じます。
一方、一昔前まではかまどで炊いていたご飯は米の分量に対する水加減、炊くときの火加減、薪の種類や量、炊きあがりの見極めなど、経験に裏付けされた熟練した知恵と賢さが求められています。
ご飯を炊くときの心がまえとして「はじめちょろちょろ中ぱっぱ」とは言われますが、その意味も良くは分からないままに幼いころから大人がかまどで炊く様子を見て成長してきました。やがて小学生の高学年になるころには、まずまずのご飯が炊けるようになります。しかし、最初からすべてがうまくいくわけではなく、水の量が多すぎて少々ゆるいご飯だったり、火加減がうまくいかずに焦げたご飯になったりと失敗することもしばしばでした。それでも家族は「失敗は成功のもと」とあたたかく見守ってくれました。
その失敗のおかげで、水の料や火加減を工夫する知恵が育まれ、やがて、家族から「これはうまいご飯だ」とほめられるようになり、ますます上手に炊けるようになっています。やがて、「あの人の炊くご飯は天下一品で誰も真似することはできない」と誰もが認めるところとなり、地域のイベントでご飯炊きがあるときにはいつもかりだされるようになっていきました。
今の時代、かまどでご飯炊くことなどキャンプに行ったときくらいで、日々の生活では必要ないことであり、わざわざ半世紀前の体験をするすることもないのではという声も聞こえてきます。
ご飯を炊くことも目的のひとつだと思いますが、それ以上に様々な体験をしていることを見逃してはならいと思います。
(この続きとして、「遊びには寄り道こそ必要」「遊びが遊びを生み出していく」「安全に安全には最善の策ではない」「効率性優先ではなくうまくいかないことも大切に」「子どもも親も引き付ける読書力」の文章も2021年度の子ども白書に寄稿させていただきました。ご興味がございましたら、子ども白書2021の方も是非、ご覧いただければ幸いです)

焚き火 自分のアイデアでいくらでも楽しむことができる焚き火を楽しむ

『森のようちえん冒険学校』
中能孝則

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